2017年1月18日水曜日

「中国百科攻略ノート」 映画  90年代の映画

90年代の映画

  各映画制作所
 1990年段階で、中国の主な映画制作所には、伝統のある長春、北京、上海各映画制作所のほか、下記のような会社がある。
  • 解放軍の八一映画制作所
  • 北京電影学院付属の青年映画制作所
  • 北京児童映画制作所
  • 西安映画
  • 成都にある峨眉映画
  • 南寧の広西映画
  • 長沙の潚湘映画
  • 広東の珠江映画
  • 福州の福建映画
  • 深圳影業公司
  • フフホトの内蒙古映画
  • ウルムチの天山映画
  • 昆明の雲南民族映画
  • アニメーションの上海美術映画制作所などがある。

歴史映画
 主旋律映画と言われる歴史事実を描く映画の現代史ものが1989年に長春映画の「開国大典」から始まって、「重慶談判」「決戦之後」「七・七事変」と李前寛・萧桂雲夫妻が共同監督した。香港返還に合わせて謝晋監督も1億元の製作資金を集めて「阿片戦争」を1997年に完成させた。 
文化大革命を扱った映画 歴史として直接、文化大革命の悲劇を自らの体験や肉親、友人、知人の体験として描いた。
謝晋が「芙蓉鎮」で措いた。
このあと陳凱歌が「子供たちの王様」で農村に下放されて教師をする青年に、
「さらば、わが愛~覇王別姫」で2人の京劇役者の半世紀にわたる葛藤に、
田壮壮が「青い凧」で一家の母の歴史に、
張芸謀が「活きる」で娘の死にとらえた。
俳優姜文も監督デビュー作「太陽の少年」にあの時代の中学生群像を登場させた。
いずれも自分や家族や友人に襲いかかってきた文化大革命の記憶を痛みとして刻みつけた。

「山の郵便配達」
 陳凱歌たちと北京電影学院同期生の第五世代で、美術監督をしてきた霍建起が妻・思蕪の脚本の「勝者」で1995年に監督デビュー。99年に潚湘映画で撮った「山の郵便配達」が中国国内で上映されなかったのに、日本公開でヒットして中国の話題となった。

外国映画
 95年以降、アメリカの10本の大作を輸入できるようになった。「逃亡者」をトップとして98年の「タイタニック」のヒットでアメリカ映画は観客の心をつかんだ。




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