2017年3月7日火曜日

古文復興と八大家

古文復興と唐宋八大家

文の世界では、南北朝時代の骈文の流れは唐代まで続いていた。 しかし骈文から脱却しようとする動きが中唐になって出てきた。

韓愈と柳宗元
韓愈は自然な文体を創出することを主張し、先秦から漢代の文体を模範とした。柳宗元は一生の大半を僻地で過ごしたことにより、その作品は自然や人間を措いたものが多い。彼らの新しい文体は「古文」と呼ばれた。


唐宋八大家
古文運動は韓愈らの時代には主流とはならず、晩唐から宋の初期には骈文が復活する。末代の古文運動は欧陽脩に始まる。後に「唐宋八大家」欧陽脩とその弟子である曾鞏、王安石、蘇軾、蘇轍の4人に、蘇軾兄弟の父蘇洵、さらに韓愈と柳宗元を加えた8人を、後に」
  • 官僚としてもほぼ頂点を極めた欧陽脩は、科挙制度の責任者になったことも重いし、後進の王安石や蘇軾らとともに、古文を普遍的な文体とすることに成功する。
  • 韓愈を範とした欧陽脩の文がやや難解であるのに対し、蘇軾のそれはさらに自然な趣を持つ。
  • 彼らの文章は後世の規範となったため、後に「唐宋八大家」と称されるようになったのは、欧陽脩とその弟子である曾鞏、王安石、蘇軾、蘇轍の4人に、蘇軾兄弟の父蘇洵、さらに韓愈と柳宗元を加えた8人である。
  • 「唐宋八大家」  欧陽脩、曾鞏、王安石、蘇軾、蘇轍、蘇軾、蘇洵、韓愈と柳宗元

伝奇
南北朝時代に起こった「志怪」のジャンルは、唐代には「伝奇」となっ て受け継がれる。志怪の多くが出来事を記すのみだったのに対し、伝奇は物語としての完成度が高い。さらに時代が下 ると、伝奇のテーマの主流が怪奇な現象から才子佳人の話に移るようになる。なお、怪奇な事象を記した文言小説はその後も受け継がれ、清代には更なる傑作が生まれるようになった。


  • 沈既済の『枕中記』、『任氏伝』、李公佐の 『南柯太守伝』がその代表である。
  • 張鷲の『遊仙窟』は中国では早くに失われたものの日本で長く伝えられた異色の作品である。
  • 白居易の弟の白行簡の『李娃伝』(795年)や元稹の『鶯々伝』が有名である。
  • 清代には『聊斎志異』『子不語』『閲微草堂筆記』などの名作を生むこととなる。
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