2017年3月7日火曜日

変文と元雑劇と明清の戯曲

変文から元雑劇をへて明清の戯曲へと広がる文芸の世界

文人の作る文学の主流が文言(文語体)であったのに対し、白話(口語体)の文学は「俗」と見なされ、当時はあまり評価されなかった。しかし特に元代以降 1つの文化として大きな広がりを見せたことには間違いがない。

変文から宋の芸能まで
[変文」は、唐代中期に盛んとなった韻文と散文を組み合わせた語り物で、元は布教のため仏教僧が民衆に絵を見せながら語るものだったが、後に仏典と関係のない題材も扱われ、 『伍子胥変文』 など歴史物もある。変文は、 20 世紀初頭に敦煙で唐などの古文書とともに発見された。
  • 宋代、都市の発達に伴って、民衆向けの様々な芸能が活況を呈し、雑劇と呼ばれる演劇が人気を博した。金でも、院本と称する演劇が存在したほか、語り物の一種「諸宮調」が行なわれ、董解元 『西廂記諸宮調 』 が現存する。

元雑劇(元曲)
元代、科挙が中止されると、出仕の道を断たれた知識人が雑劇の製作に多く参与するようになり、その芸術性は格段に向上した。雑劇は、通例 4つの「折」すなわち 4 幕に分けられ、また「楔子」と呼ばれる小段が加えられることがある。それぞれの折は、「唱・科・白(うた・しぐさ・せりふ)」から構成される。
  • 後世に最も影響を与えた作品は王実甫 『西廂記』 で、張生と崔鶯鶯の恋物語である。
  • 関漢卿は元雑劇の代表作家で、話し言葉を駆使した素朴な文体、 4折の短編劇に相応しい緊密な構成にすぐれ、 『救風塵』 『賓蛾寛』など、女性を主人公とした作品が多い。
  • 馬致遠の 『 漢宮秋 』 は、王昭君の不幸な物語を題材とする。
  • 他にも殺人事件をめぐる裁判劇である孟漢卿 『魔合羅』 、家庭のいざこざを描いた武漢臣 『老生児』 などがある。これらは明の時代に偏纂された 『元曲選』 によって広く流布した。

明清の戯曲
明代には、5 音階の南方系歌曲を用いる「南戯」が隆盛した。南戯には長編が多く数十段に及ぶものが多い。また主役に限らず、あらゆる役柄がうたうことができ、これらの点が雑劇と対照的である。
  • 元末明初の高明の名作 『琵琶記』 が南戯隆盛のさきがけとなった。
  • 有名な作品としては 「荊劉拝殺」と称され『箭钗记』 『劉知遠白兔記 』 『拝月亭幽関記』 『殺狗記』 の 4大作がある。
  • その後南戯は低迷期に入るが、後の崑曲につながる[崑山腔」が創始され、梁辰魚 『浣紗記』 などが人気を博した。
  • 明代最高の劇作家は湯顕祖で、 『 紫钗記 』 『 牡丹亭還魂記 』 『 南柯記 』 『邯郸記 』 の 4 作品は、みな夢をテーマとし、彼の書斎名をとって「玉茗堂四夢」と総称される。特に 『牡丹亭還魂記』 は明代南戯の代表作で、 2 人の男女が夢で恋に落ち、最後は現世で結ばれる、という内容を美麗な文辞で綴る。
  • また明代南戯の選集に、明・毛晋 『六十種曲』 がある。
  • 清代南戯の傑作は洪昇 『 長生殿 』 と孔尚任「桃花扇 』 である。 『長生殿』 は、唐の玄宗と楊貴妃のロマンスを描いた。 『 桃花扇』 は、作者自らが体験した明末の動乱を題材に実在の人物を登場させた歴史劇である。
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