2017年3月6日月曜日

「中国百科 文化・芸術編」漢詩の起こりと進化

漢詩の起こりと進化

はじめに
儒教の最初の経典、つまり孔子やその弟子が編んだとされる書物に、「四書五経」(大学・中庸・論語・孟子・詩経・書経・易経・礼記・春秋)がある。そのうち文学の最初の書と言えるのが『詩経』である。

■詩経
『詩経』は春秋時代の中期ごろの当時の中国北中部の地域の歌305篇を集めたもので、編纂者は孔子と言われている。『詩経』は「風」「雅」「頒」の3つに分類される。 
  • 「風」は国風とも言い、春秋時代の各地の歌謡で160篇あり、地方ごとにさらに「周南」「召南」「榔風」「麟風」など15に細分化される。
  • 「雅」は周王室の宴会等で歌われた歌謡で105篇あり、「小雅」と「大雅」に分けられる。
  • 「頒」は祖先を祭る際の歌で40篇あり、国によって「周頒」「魯頒」「商頒」に分けられる。詩は1句4文字の四言詩で、偶数句で韻を踏む。

■楚辞
『詩経』の詩から300年ほどのち、南の楚の国の歌を集めた『楚辞』が編まれた。
  • 『楚辞』の中心的な作者は屈原である。楚の王族の出身とされる屈原は、大臣として活躍するが勢力争いに敗れて追放され、失意のうちに滑羅(川の名)に身を投げて死んだと言われる。屈原の代表作は「離騒」 で、楚辞の代表作でもあり、失意のどん底にあった屈原が、その怒りと悲しみを詠った作品である。
■五言詩と陶淵明
詩はその後、後漢から六朝時代にかけて五言詩が一般的となり、さらに七言詩が生まれてくる。こうした形態は漢代に起こった「楽府」という歌謡が起源と考えられる。南北朝時代に編纂された詩や文の選集『文選』収録の「古詩十九首」が古い五言詩として最も有名である。
  • 三国時代の親の皇帝一族である、曹操、曹丕、曹植はいずれも文学者としても高い能力を持ち、多くの五言詩を残している。中でも曹植は三国から南北朝時代を通じてもトップクラスの文学者である。 
  • 東晋から南北朝時代の南朝宋の時代の詩人、陶淵明は、隠逸詩人と呼ばれる。他の詩人たちが宮廷で詩を詠んだのに対して、農村で暮らしながら、自然や農村での生活を詠った、当時としては異質の詩人である。

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