中国古典文学の「文」形式
中国古典文学の中心は古来「詩」と「文」とされる 。 ここで言う文とは 文語体(文言)の散文などを指し、口語体(白話)の小説などは含まない。
賦
戦国時代から漢代、南北朝時代にかけて「辞賦」あるいは「賦」と呼ば れるジャンルがあった。宮廷に仕える文人が皇帝や皇族に捧げる文が「辞賦」である。
南北朝時代に「志怪」と呼ばれる短編小説が流行した。ただ「志怪」の体裁は統ーされておらず、非常に短いもの、 結末がないものも多い。
宋の劉義慶の『世説新語』は、当時の名土の逸話を集めたもので、「志怪」に対して「志人」小説と呼ばれることもある。
南北朝時代頃から、文章を4字や 6字で区切って対句の形式とし ( 四六島井傭体)、詩のように平仄を意識した方式が主流となる。そもそも骈文とは対偶法で書かれた文章のことを言う。(べん文)
戦国時代から漢代、南北朝時代にかけて「辞賦」あるいは「賦」と呼ば れるジャンルがあった。宮廷に仕える文人が皇帝や皇族に捧げる文が「辞賦」である。
- 漢の武帝の時代の司馬相如に「子虚の賦」「上林の賦」という作品がある。壮大な狩猟の様子を描写しつつ漢の皇帝を称え、かつ調 轍で締めくくる内容になっている。
- 後漢には班固の「両都の賦」、張衡の 「二京の賦」があり、いずれも前漢と後漢の都、長安と洛陽の繁華な様を綴った名作である。
- この時代に編まれた『文選』は、南北朝時代の南朝梁の昭明太子がそれまでの文学の住作を集めて編んだ選集で、大変価値の高いものである。
南北朝時代に「志怪」と呼ばれる短編小説が流行した。ただ「志怪」の体裁は統ーされておらず、非常に短いもの、 結末がないものも多い。
- 東晋の干宝の『捜神記』 や規の曹丕の撰とされる『列異伝』、南朝宋の劉義慶の『幽明録』などがあり、奇怪な出来事を記す。
- このジャンルは唐代の「伝奇」を経て、清代の『珊斎志異』等に至るまで受け継がれる。
宋の劉義慶の『世説新語』は、当時の名土の逸話を集めたもので、「志怪」に対して「志人」小説と呼ばれることもある。
- 三国志で有名な諸葛亮 ( 孔明 ) の登場する方正篇などがある。
南北朝時代頃から、文章を4字や 6字で区切って対句の形式とし ( 四六島井傭体)、詩のように平仄を意識した方式が主流となる。そもそも骈文とは対偶法で書かれた文章のことを言う。(べん文)
- 制約の多い骈文の流行により文章の内容よりも形式にとらわれた不毛な作品も多くなり、これが中唐の古文復興運動へとつながっていく。
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