4.12-09 世界史を動かしたお茶
この表題を見て、何をそんな大層なと思われる方も多いと思いますが、1842年に当時の大英帝国と清との間で戦われた史上最悪の戦争の背景になったのが、実はこの「お茶」だったのです。当時イギリスはお茶を中国から輸入していました。ところがイギリスには売るものがなく、著しい貿易不均衡となりました。当時は銀で決済していたため銀が不足し、困ったイギリスは、こともあろうことか、麻薬のアヘンをインドで生産し、それを清に売りその代価でお茶を買うという三角貿易を仕掛けました。これには清は当然ごとく反発し戦争になりました。これがアヘン戦争です。これから中国は約100年間、外国の侵略に苦しむことになります。つまり「お茶」世界史を動かす大きな原因となりました。
お茶の起源
中国で生まれた茶は、今では数百種類にもなるといわれています。お茶の発見は非常に古く、伝説上の人物「神農」(紀元前3400 年頃)のよるものだとされています。神農(炎帝神農)は、古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人。人々に医療と農耕の術を教えたという言い伝えで、医学、農業の神として今なお人々に敬われています。

お茶は薬草だった
中国には「医食同源」という言葉がありますが、中国では昔から、お茶は薬草としても位置づけられ、さまざまな薬としての使い方が開発されています。
中国茶の分類
茶樹から若芽を摘み取り、各種の茶葉に製茶する。製茶した茶葉の種類を大きく分けると 基本茶類(1 次加工茶)と再加工茶類(2 次加工茶)の2 種類になる。
お茶の起源
中国で生まれた茶は、今では数百種類にもなるといわれています。お茶の発見は非常に古く、伝説上の人物「神農」(紀元前3400 年頃)のよるものだとされています。神農(炎帝神農)は、古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人。人々に医療と農耕の術を教えたという言い伝えで、医学、農業の神として今なお人々に敬われています。

伝説によると今日の本草学の始祖と言われる神農は、木材をつかって農具をつくり、土地を耕作して五穀の種をまき、農耕をすることを人々に伝えた。また、薬となる植物の効用を知らせたとされる。そのために薬草と毒草を見極めようと山野を駆け巡り、野草を食べては、食べられる植物を人々に教えていた。時には毒草にあたり苦しむが、神農は茶の葉を噛んで解毒したと伝えられている。しかし、最後は自ら試用した毒草のため命を落したといわれている。唐の時代(7 一10 世紀)に茶聖と呼ばれる陸羽が著した世界最初の茶専門書『茶経』 の中では、一之源(第一章、茶の源)に[茶者南方之嘉木也」と記され、茶が中国の南方の木であると述べられている。
お茶は薬草だった
中国には「医食同源」という言葉がありますが、中国では昔から、お茶は薬草としても位置づけられ、さまざまな薬としての使い方が開発されています。
中国茶の分類
茶樹から若芽を摘み取り、各種の茶葉に製茶する。製茶した茶葉の種類を大きく分けると 基本茶類(1 次加工茶)と再加工茶類(2 次加工茶)の2 種類になる。
- 基本茶類には緑茶、白茶、青茶、紅茶、黄茶、黒茶があり(6 大分類茶)、発酵の度合いで種類が分かれている。
- 再加工茶類には花茶、緊圧茶、粋取茶、果味茶、茶飲料、薬用保健茶などがある。
そして基本茶は、以下の六種類に大きく分類されるというこれ以外にも、先に述べた再加工茶があり、さまざまな効能を持ったお茶が開発されている。お茶は単なる楽しみではなく、健康を維持するため、日常生活に重要な役割を果たしている。
- 緑茶(不発酵茶):中国茶の中で最も古い歴史を持っ。中国茶生産量の60 一70 %。龍井、碧螺春、黄山毛峰。
- 白茶(軽微発酵茶):中国茶の中で特別な名品。芽と若葉の一芯二葉すべてに白豪(産毛)が生えているので、できたお茶は全体が白豪に覆われているように見える。 白豪銀針、白牡丹。
- 青茶く半発酵茶):お湯を注ぐと、茶葉の内側は緑色、縁が赤色になるので、「緑葉紅鍵辺」とも呼ばれる。半発酵茶で、飲んだ後も香りが残り、余韻が楽しめる。 安渓鉄観音武夷大紅抱、凍頂鳥龍茶。
- 紅茶く完全発酵茶):紅茶は種類が多く、その中でも正山小種は400 年以上の歴史を誇る世界で最も古い紅茶である。世界3 大紅茶は、インキーマンドのダージソン、スソランカのウバ、そして安徽省の祁門紅茶。 祁門紅茶、損紅、正山小種。
- 黄茶(軽発酵茶):製茶工程が他のお茶とは異なり、「簡貴」という黄茶独特の工程がある。高温多湿にすることで、茶葉の成分に化学変化が起こり、「黄湯黄葉」(黄色い茶湯、黄色い茶葉)という悶黄の特微が作られる。 君山銀針、雷山黄芽。
- 黒茶(後発酵茶)・茶葉が黒褐色をしていることからその名がつけられた。発酵茶で、年月が経っほど味や香りが芳醇になる。黒茶は辺境地域の少数民族に愛飲されるので辺鎗茶とも呼ばれる。雲南プーアル普再茶、六塗茶。
私自身で経験したことであるが、上海に行ったとき、中国の友人が、中華料理を食べた後の油でべとでとになった皿に、飲み残していたプーアール茶を注いだことがある。その途端油が白濁したのには驚いた。つまりそれは油が分解したことだと教えてくれ、プーアール茶の威力を見えつけられた。またその友人は中国人はプーアール茶を飲むから、脂っこいものを食べてもメタボにならないのだといたがさもありなんと納得した。
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