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2017年2月4日土曜日

「中国百科 文化芸術編」映画 21世紀に入って

21世紀に入って

大作映画時代
 21世紀になると中国は映画強国をめざして大作映画時代に入った。まさに一皮むけた感がある。
 製作、上映、配給を一体化する中国電影集団、長春電影集団、上海電影集団などが結成された。2001年の興収が9億元だったのに対して、2002年は張芸謀の「HERO英雄」が1億元の製作費で2億5000万元と空前の興収(映画館総収入)をあげた。



第五世代監督の商業映画への変身

 第五世代監督の商業映画への変身に世界は驚嘆した。それが中国映画史三度目の武侠古装映画流行を招いた。 張芸謀は「LOVERSJ「王妃の紋章」と続け、陳凱歌も「PROMISE プロミス」で応じた。喜劇の冯小剛も「女帝 エンペラー」で参加。アクション映画の世界は大スター、大題材、大製作費、大市場とこれまでにない様相を持った。香港、台湾などからの資本の流入大きく商業大作の撮影が可能となった。

興行収入増大

家族や仲間を描く生活リアリズム映画は健在。
 スパイ映画「風声」、妖怪映画「画皮」と新分野作品がヒットし、ホラー映画も出現した。
 喜劇映画では、

  • 2008年の冯小剛「狙った恋の落とし方。」が3億元、300万元で撮った寧浩の「クレイジー・ストーン~劣翠狂騒曲」が興収2300万元と意表をついた。2012年に喜劇俳優徐噂の正月映画「ロスト・イン・タイランド」が12億4000万元と大入りになって2010年中国公開のアメリカ映画「アバター」の最高興収13億2000万元に迫った。
陸川監督が2004年に「ココシリ」で密猟者と戦う男たちを描き、2011年に日本人俳優を起用して「南京!南京!」を撮って、2億間の興行収入。 張芸謀の文化大革命下の初恋物語「サンザシの樹の下で」は日本公開されたが、6億元かけた南京事件映画「金陵十三美人」は日本公開未定。 女優の徐静蕾が「トララの昇進日記」、趨薇が「私たちの逝ってしまった青春に」、蒋要魔が「空を見上げて」を監督した。また李玉は「ブッダ・マウンテン」で地震後の女性の心痛を、胡攻は「孔子の教え」を撮った。


主旋律映画 主旋律映画とは、ある一定の主題や基調となる考えで貫かれた映画などのこと。つまり、中国社会では中国共産党の『指導』が一つの基調となっている。そのために映画や文芸作品には、恰も音楽の中のベースとなる「調べ:旋律」のような一定の方向性や社会性がその基調に求められる。これを称して「主旋律映画」と呼ばれるようだ。 


私見
このような映画や演劇における主義主張は、何も中国に限ったことではなく、アメリカ映画のジョンウェインが活躍した西部劇などはもろに主旋律映画と思えるのだが・・。
  • 中国映画独特の主旋律映画では冯小剛が「戦場のレクイエム」で国内戦の激烈さを、「唐山大地震」で耐える家族を描いた。
  • 建国60年の「建国大業」、共産党創立90年の「建党偉業」と作られ、辛亥革命100年の「1911」はジャッキー・チェン主演100本目で総監督をした。霍建起が「愛のしるし」で共産党幹部瞿秋白の生死を恋愛映画タッチで描写した。
  • 無名の新人滕華弢の都市型恋愛映画「失恋33日」が3億5000万元と大ヒット。「孔雀。我が家の風景」でカメラマン顧長衛が文革後の家族を、侯味が「ジャスミンの花開く」で、上海3代の女性を措いて監督デビュー。陳凱歌は「花の生涯梅蘭芳」を、姜文は「さらば復讐の狼たちよ」で軍閥時代の非情を措いた。ポスト第六世代監督として王競、梁婷、主唱飛たちが登場。


中国映画100年

中国映画100年を迎えた2005年に巨大な中国電影博物館が北京に完成。また、中国映画のはじまりとなった「定軍山」も劇映画化された。中国映画は種類多彩、娯楽性強調、映画館系列化で、世紀末不振を克服。
2012年は製作700本、興収170億元と、前年比30.18%増の史上最高になった。興収の半分近くは外国映画で国産映画が映画館からはみ出る状況もあるが、映画の文化産業化の勢いは止まらない。




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2017年1月28日土曜日

「中国百科攻略 文化芸術編」第11章映画 「中国映画の改革開放」

中国映画の改革開放

中国映画の復興が始まる
毛沢東が1976年9月9日に病死した。江青をはじめ文革で猛威をふるった四人組の逮捕とともに文化大革命が終息。中国映画の復興が始まった。江青たちの陰謀・罪悪の告発が行なわれる一方で映画人たちは農場から辺境から監獄から撮影所に戻ってきて名誉を回復された。

“傷痕映画”
1976年11月から1977年10月には上映禁止映画の90本が復活、日本映画など外国映画も上映され、のベ128億8000万人が映画を見た。映画作りが始まり、「演劇の杖を捨てろ」「現代の映画言語を創れ」という発言が映画を動かす。文化大革命の苦痛を描く“傷痕映画”と言われる作品が生まれた。
  • 日本映画「君よ憤怒の河を渉れ」は2800回上映されて2700万人が見た。主演高倉健はこれより中国で人気が出る。
  • 1977年の四人組との戦いを描く「十月の風雲」、女優謝芳が復帰した「涙痕」や「巴山夜雨」などがある。
  • その代表作とも言えるのは建国後監督デビューした第三世代の謝晋監督の「天雲山物語」「牧馬人」「芙蓉鎮」だ。反右派闘争から文革までの20年、無実の罪の犠牲者を描き、迫害を告発して人々の涙を誘った。

中国映画最高の年
 1978年に思想解放の改革開放路線が打ち出され、1979年は中国映画最高の年となった。観客のベ293億1000万人、入場料収入20億元以上。まだテレビもなく映画は嬉しい娯楽となり生きる喜びとなった。

  • 生き別れとなった母子が戦場で再会する「戦場の花」や、
  • おびただしい犠牲が出る戦いの悲惨を描く「今宵星はまたたく」、
  • 兵士の愛情を描く「帰心矢の如し」、
  • 恵まれない医師夫妻の苦しみを訴える「人、中年に至る」などに感動した。
  • 76年の天安門事件を背景にバイオリニストの初恋を描いた呉天明、滕文冀共同監督の「生活の顫音」では建国以来初めてのキス・シーンを見せて観客をどきどきさせた。 
  • 寮の中で描く「鷹山恋」はファッションの華やかさで若者をひきつけた。
多種多様な作品
 1980年代に入ると、文学の映画化が盛んになって茅盾「真夜中」、老舎「茶館」と「賂舵の样子」、魯迅「傷逝」と「阿Q正伝」などが撮られた。

  • 第五世代を育てることになる呉天明は「人生」「古井戸」で農村青年の生き方をとらえ、
  • 女性監督黄蜀芹の「舞台女優」、張暖忻の「青春祭」、それに呉○(貝編+台)弓の「北京の想い出」、
  • 謝飛の「黒い雪の年」、胡柄榴の「郷音」などが文革で挫折した第四世代監督がリアリズムタッチで人間性を追及する手腕を見せた。
  • 喜劇映画「ピンぼけ家族」、スパイ映画「保密局の銃声」、武芸もの「少林寺」、SF映画「珊瑚島上の死光」や少女の自己主張をとらえた「紅い服の少女」と多種多様。
  • 1982年には三園連太郎が孫道臨と共演した日中合作映画「未完の対局」も撮影された。
  • 「慮山恋」に主演した張瑜のような一夜で超人気アイドルも生まれるような時代となった。
蒋介石も登場した
 労働者、農民、兵士のための映画というこれまでのワクから、なによりも人間らしさを描いてその苦悩と喜びの感情を掘り下げるようになった。
  • また歴史を描く「西安事件」では初めて蒋介石が登場。全面否定されていた国民党の指導者を毛沢東と対等の歴史人物として措くといった大変化も起こった。
  • 日中戦争の戦場を真正面からとらえた「血戦台児荘」では国民党司令官李宗仁の指揮と将兵の奮戦を見せた。
“改革開放”後の2008年までの30年間に4522本の劇映画が生まれた。
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